今、小さな自分たちなりの本をつくるということは、より豊かな個人のコミュニケーションへの一歩だし、じつはとても自由度の高い、非常に純度の高い表現手段として多くの人に広がりつつあるだろう。また同時に、食事をつくるかのように日常に近いことにもなりつつあるのかもしれない。
雑誌大国・日本。その東京近郊で育った自分は、1990年代後半、十代の頃に雑誌に憧れを抱いたが、今や雑誌というのは“プロの雑誌編集者”なるものがつくるものではなくなっているように感じる。そういったプロの編集者が培ってきた技術の解体や拡張(=つまり、それらをより広く開くこと)もとても必要になってきているはずだ。しかしそれより何より、本って、何かへの情熱を表現するのにとても適した形なのだという基本に皆が立ち返っているのが、この現在の、マイクロパブリケーションのムーブメントなんじゃないだろうか。
私が日頃キュレーターを務める自由大学という場で、これまで二度にわたり『出版社をつくろう』という講義を開講した。先般、3期目を検討していた際「この講義の表記は『出版者をつくろう』なのではないか」という問いが浮かび上がった。そう。発音してしまえば同じだが。これは、新しく小さな商いとして出版業を始めてみよう、という呼びかけである以前に、そもそもは“出版を始めてみる”という人々の実験、アティテュードを加速させるような場でありたい、と改めて自分自身が気づかされたのだ。“バンドやってみようぜ”みたいな、初期衝動に近いようなこと。
東日本大震災以降、アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤さんを編集長として、数人の編集を生業とする人々とともに『THE FUTURE TIMES』という新聞を作り始めた。未来について考える新聞。被災地のこと、エネルギーについて、また「伝える」ということについても企画にし、多く展開した。歴史の教科書には載らない民俗史を、紙に刻みつけ残すことの意味。私が小さな紙媒体を眺めながらいつも希望を感じるのは、おそらく日々の暮らしや思考を残すことこそが、新しい次の世界をつくることに直結している、とどこかで信じているからなのだろう。
● 鈴木絵美里 twitter
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主宰 江原茗一も鈴木さんが取り組む「自由大学」ゲスト講師として参加している。肩書きを越え、様々なカルチャーをときには後押しし、ときには切り開こうとする鈴木さんの姿勢に強く勇気づけられます。
※当初予定していた創刊記念企画「新しい文藝誌ができるまで」にて、トークをお願いしておりましたが、延期・形式を変更したためご寄稿いただきました。