深夜、来るとも分からないお客さんを待ちながら僕はこの時代に文藝誌を買うことについて妄想を膨らませる。スマートフォンを開けば、膨大な情報と有象無象の会話を僕らは無限に得ることができる。薄い、それを使えば見たい風景や物事の意味を無限に知ることができる。と、同時にあなたは何も知らなくてもよかったことが分かる。簡単に手に入った意味や風景は早く移動することはできても、遠くまでは僕たちを連れていかない。
無限な言葉は終わりがないのに、始まりも見当たらない。その無限さに、一瞬の虚しさを感じる夜もある。
そうして、今、一冊の小さな文藝誌があなたの前にある。ここに収められているものは、無限に続く情報ではなく有限な誰かの声。思考と嗜好と試行の積み重ね、意味に到達する前に感じる震えや、遊び、余白。階段の踊り場で友達と話しているような時間。あなたは本屋を出たあと、そっとポケットへ、この文藝を忍ばせる。今、あなたはここにある言葉だけ読めばいい。無限に続く情報ではなく、百頁の中に収められた言葉。ここにあるものだけ、を読んでいい幸福。
いつか、五十年や百年経って、家のどこかでこの文藝誌が見つかり古本屋の棚に並ぶとき。名も知らぬ店主は幾らの値段をつけるのだろうか。その時、僕らはどこでどのように生きているのか。その瞬間を妄想してはほくそ笑み、僕はそっと頁を閉じる。
● 古本屋 弐拾dB site
広島県尾道市久保2丁目3−3
〈営業時間〉
平日 23:00〜27:00
土日 11:00〜19:00
定休木曜
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「ぜひ取扱たい」と、連絡をくださった尾道の藤井さん。藤井さんは私たち編集部と同世代ながら尾道に古本屋を開き(建物は元医院だという)、夜な夜な店番をしている。園をSNSで紹介してくれ、私たちが努力して作った一冊を本当に愛してくださっていることが、その文章から伝わってきた。遠く東京から、尾道のほうへ向かって、手を振ります。